マルごしサン・ブログ

気になるものについて思うまま語ります

頭痛持ちの人とわかち合いたい話 つづき

■ わかってもらいにくい頭痛の具合の章

昨日の続きになりますが、今朝は(痛み指数20)でスタートし、とりあえずロキソニン(貼り・飲み)を決め込んで会社へGO!うすら痛さは続くものの昨日までとは全然違い、同僚への軽口も飛び出します。昼にだめ押しのロキソニンで完全復活!やった!3連休前に復活できた!もう小躍りする勢いです。しかし、この連休は台風、台風がくる。

台風がくると頭痛がしがち。

その恐怖におびえながら、残り1錠となった偏頭痛様をお守りにして過ごさなければなりません。

しかし頭痛って痛さの程度が人それぞれで、痛み指数50でも90と感じる人もいれば痛みに強い人もいるし、
 A「頭痛持ちです!」B「私もです!」
といっても必ずしもAとBが同レベルの痛みを体験しているかわからないのがミソですよね。
これはもう
 A「頭痛で吐いちゃった!」B「私も!」
の場合のみ真の共感者といえるのではないでしょうか。朝、子供を家の前まで送り出した時に浮かない表情の隣の奥さんに会い、その首筋にチラリとロキソニンテープとおぼしき肌色を見たときには、思わず「頭痛がひどいの?」と声をかけずにはいられませんでした。案の定、彼女も頭痛持ちとのことで、同情しつつも仲間を得た思いでした。

2011年の東日本大震災の折には我が街も震度6を記録し、その晩は近くの小学校の校庭に避難しました。グラウンドに車を乗り入れ車中泊することに。そのとき私はまさかの偏頭痛発症。後部座席では、車中泊を楽しむ子供らがキャッキャしています。余震で車がグラグラします。その運転席で私は密かに手近にあったレジ袋にオロロロ…してたわけですが、子供らは知るよしもなく「おかーさーん!笑いすぎてチビっちゃった~」などと言ってきたわけです。

「頭痛なの?寝不足なんじゃない?」という言葉は私の地雷のひとつですが、頭痛ごときで…の物言いをする人達に、『こ、この頭痛を味わわせてやろうか!』と心の中で何度毒づいたか分かりません。(このへんも呪い)

頭が痛くて独り枕を濡らしたのも一度や二度ではありません。願わくば頭痛のない余生を送りたい…。それが叶うだけでも人生バラ色になるのではないかと思いませんか。
近くの神社にある、体の悪いところを形代(人型の紙)で撫でて水に流すと治るよ…みたいなヤツに、参拝の人の目もはばからず何度チャレンジしたかわかりません。

頭痛のつらさを分かって貰うためには、意を決して目の前でゲロ袋を取り出すしか…もう手段はないのかもしれません…。


■ 頭痛の呪いは末代までの章

頭痛は遺伝しますよね。私の母もその母も頭痛持ちでした。中学生の息子も、吐くほどの頭痛を覚えました。
低気圧がくるとなると、だいたい「あ~今日頭痛い」「やっぱりね」「薬ちょうだい」とか言って鎮痛剤の争奪戦になることもあります。頭痛のない人たちから見るとちょっと異様な光景かもしれないですね。偏頭痛は代を重ねるごとに症状が酷くなる。とか、とんでもなく恐ろしいことが書いてあったのをどこかで見ましたが、これは一種の呪いといっても過言ではない辛い状態です。

先の旅行の予定を立てるのも恐ろしい。以前友人と約束していた旅行を前日に頭痛でキャンセルしてしまった時の申し訳なさや、頑張って頭痛と吐き気を押してまで行ったとして同行者に迷惑をかけるのでは…といったことを考えて気後れしてしまいがちです。
行きたいけど、当日頭痛がきたらどうしよう…。頭を抱えながらゲロ袋もって歩けと言うのか神よ…。
いや、痛さはやむを得ないとして、もうゲロ吐きながら歩くことが平気な人になれるだけでもいい…!
こんなカンジの人結構いるでしょう!?

ただ、可愛い我が子が出来るだけ頭痛に苦しむことがないよう新薬の開発、また、ギリギリまでは痛みに耐えることができる強い心を持てるように祈るばかりです。


そうやって私たちは、頭痛のない人たちと同じ世界で生きて行かなくてはならないのですよね?
頭痛持ちの人、強く生きましょう!こんな苦行に耐えている私たちはきっとどこかで報われるはずです!

ありがとうございました!